LOGIN「そ、それは真実なのですか?」
ここまで用意周到なのだ。ウェルシェが何の裏付けもないなどあり得ない。それを理解してもなおオルメリアは聞き返さずにはいられなかった。
「間違いありません」
だが、予想に反して応えたのはウェルシェではなくシキン夫人であった。
「私の息子ともども、陛下より推挙を受けた者達は一人残らず遠ざけられております」
「ああ……」
息子のあまりの暴君ぶりにオルメリアは目の前が真っ暗に、頭の中は真っ白になってしまった。
今日という日が悪い夢であれば良かったのに、叶うならば時を巻き戻して欲しいとさえオルメリアは願わずにはいられない。
「オーウェン殿下はご自分に
ちなみに、その
シキン夫人は苦々しく続けた。
「彼らは素行の悪さに加え、
この主人にしてこの臣下あり状態である。
「私の親友キャロル・フレンドの婚約者クライン・キーノン様もオーウェン殿下の側近として悪評が酷く、フレンド伯爵も彼を身限り婚約を解消されました」
「そ、それは事実無根です!」
ケイトと同じテーブルを囲んでいたクラインの母キーノン伯爵夫人が金切り声を上げた。
「あれはフレンド伯爵令嬢が不特定多数の殿方と不義を働いたからです」
婚約を解消の腹いせにと、ケイトを筆頭にしたオーウェン殿下の
「そのような事実はございませんわ」
だから、これを機にウェルシェは友人の名誉を挽回しようと画策していた。
「息子から確認を取りましたがフレンド伯爵令嬢に落ち度はありませんでした」
シキン夫人からの援護射撃もお願いしているウェルシェに死角はない。
「シキン夫人が仰るのなら間違いないでしょう」
「私も娘から、クライン・キーノンは自分の正義を振りかざしては乱暴狼藉を働く素行の悪い人物だと聞き及んでおりますわ」
ケイト達以外のテーブルからちらほらとクラインを詰る声が聞こえてきた。これはシキン夫人の影響力もあるが、ウェルシェの仕込みによるところも大きかったりする。
このお茶会にはウェルシェの息が掛かったサクラが紛れ込んでいた。そのサクラとなっている夫人達がウェルシェに合わせて周囲を扇動していたのである。
これも傘下に収めた有能なオーウェンの元側近達をフル活用した結果。出席者を洗い出し、事前に協力してくれる者に接触していたのだ。
こんなに優秀な彼らの真価に気づかず捨てたオーウェンはどうしようもなく愚かだとウェルシェは思う。
(だけど、そんなものなのかもね)
人の才とは容易に測れるものではない。ゆえに古今東西どこにおいても人の登用とは難しいものなのである。
そして、自分は他者と違いちゃんと能力を判別できると勘違いするところまでがセットである。
(オーウェン殿下はジョウジ様やレーキ様達を無能で現側近達を優秀だとのご自分の評価を疑ってもいない)
つまるところ、オーウェンは自分が優れた指導者であると盲信しているのだ。エーリックは逆に自分に対して自信がなさすぎだが根拠のない自信よりもマシだとウェルシェは思う。
「今現在、オーウェン殿下とその側近達が件の男爵令嬢を囲って好き放題されておられますわ。特に側近達の婚約者達が被害を被っておりますの」
「私の息子のように側近でさえお諌めすれば不興を買ってしまうので、誰にもオーウェン殿下を止める手立てがございません」
ウェルシェに追随するシキン夫人の声は凍えるほど冷えていた。
明らかに彼女は怒っている。
「学園では真に国を憂う若者達が不当に扱われ、殿下に|阿《おもね》る者達が横柄に振る舞っております。王妃殿下はこれを子供がする事だからと捨て置かれますか?」
えっ!?とウェルシェはびっくりした。
今のは台本にない。しかも、不敬と断じられてもおかしくない直諫である。
「学園は小さな王国です。この国の将来を映す鏡です」
いや、驚いたのはウェルシェだけではない。
この場の誰もが驚愕して目を見開いている。
「このままならば、オーウェン殿下がマルトニア王国の頂きにて見下ろされる景色の中に我がシキン伯爵家は恐らくないでしょう」
(そこまで言う!?)
シキン夫人の言葉に今度はウェルシェの方が度肝を抜かれた。
直訳すればオーウェンが国王となった時にシキン伯爵家は彼によって滅ぼされているか、見限って他国へ亡命しているだろうとシキン夫人は言っている。
つまり、シキン伯爵家はオーウェンを支持しないと暗に言っているのだ。
これはオーウェンへの痛烈な批判であり、当然だが聡いオルメリアにも彼女の意思は伝わっている。
(まずい! まずい! まずい!)
ウェルシェはにこにこ笑っていたが、実は予定外の事態にけっこう焦っていた。
(シキン伯爵夫人がこんなに激烈な方だったの! おっとりした外見に騙された!)
貴族とは上の立場の者を諌める際は、遠回しに
(シキン夫人はオーウェン殿下から王位継承権を剥奪せよと言っているのよね。だけど、今の段階では実の息子を見限るほどとは思えない)
オーウェンはまだ若すぎるし、もたらした実害も少ない。
(この諫言が取り上げられる可能性はほぼゼロ。その場合、彼女が罰せられ連れてきた私もお咎めなしとはいかないわよね)
理不尽に思えてもそれが貴族社会での常である。
(王妃殿下の選択は息子かシキン家かの二択になってしまっているわ)
今後の展開と対策のシミュレーションでウェルシェの頭は物凄い勢いで高速回転し始める。
(女は度胸! ええい、ままよ!)
王妃オルメリアとシキン伯爵夫人の視線がぶつかり合い、周囲の夫人達が圧倒されて固唾を飲んで見守る張り詰めた空気――
「まあ、シキン夫人とお会いできなくなるのは寂しいですわ」
――それをウェルシェの場にそぐわぬおっとりした声が壊した。
「せっかく仲良くなれたと思いましたのに」
それはウェルシェの大博打の始まりを告げる一声だった。
「やっぱりゲーム通りに進行しちゃうのね」イーリヤの顔は暗い。「オーウェンとの婚約も回避できなかったし、なるべく学園には近づかないようにしてたんだけどなぁ」イーリヤは元日本人の転生者である。魔術のある世界に転生したと知ったイーリヤは喜び勇んだ。前世でも頑張り屋の優等生だった彼女は、絶対すごい魔術師になってやると情熱を注いで、幼少期から猛特訓を重ねたものである。もちろん公爵令嬢に生まれた以上その責務も忘れていない。勉学や貴族のマナー、その他できる事はなんでもやった。更には商会を設立してニルゲ公爵家の財政にも寄与した。イーリヤ自身にもちょっとやり過ぎた感がないでもない。「だけど、この身体って凄いスペック高いからやればやるだけ伸びるんで面白かったのよねぇ」努力すれば結果が返ってくるのは楽しいものだ。「それに前世ではこれからって時に死んじゃったから、采配を振るえるのが嬉しかったし」大手に内定決まって未来に大きな夢を抱いていた時に、痴情のもつれに巻き込まれて死んでしまった。その無念を晴らすようにがむしゃらに頑張ったのだ。痴情のもつれと言っても、イーリヤとは全くの無関係である。姫と持ち上げられてサークルクラッシャーしていた知人が取り巻きに襲われたところに居合わせて巻き込まれたのだ。「だけど、やり過ぎたせいで、あんな事になるなんて」頭痛でもするかのようにイーリヤはこめかみを押さえて嘆く。イーリヤの能力が注目され、王家から第一王子オーウェンとの婚約が打診されたのだ。その時になってここが乙女ゲーム『あなたのお嫁さんになりたいです』の世界と知ったのである。&nb
ケヴィンの件が片付き、晴れ晴れとした気分で学園にウェルシェは登校した。「ご機嫌よう、ウェルシェ・グロラッハ様」そこで彼女を待っていたのは、普段は校内で見かけない美女であった。イーリヤ・ニルゲ公爵令嬢――黒い髪に赤い瞳、精巧な人形のように整った顔、女は嫉視し男は見惚れる起伏のあるプロポーション。一度その姿を目にすれば絶対に忘れられない絶世の美女。オーウェンのテコ入れの為にもウェルシェも近いうちに接触をしようと思っていた相手だ。(これは好都合ね)ウェルシェは内心でにんまり笑った。イーリヤは格上の相手だけに、どう接触しようか思案していたところなので、手間が省けた。「これはイーリヤ・ニルゲ様、ご挨拶痛み入ります」「将来は姉妹になるのだしイーリヤで良いわ」「では、私のこともウェルシェとお呼びくださいませ」しかも、望外にも名前を呼ぶ許可まで貰えた。これで今後は接触がしやすくなる。「本当はもっと早くにあなたと会いたかったのだけど……」「あなた様はとてもお忙しい身。取るに足りぬ私などをお気に留めていただけただけでも光栄でございますわ」イーリヤはふっと笑みを零した。見惚れるほどの妖艶な美しさだ。「ウェルシェが取るに足りなかったら、この学園のほぼ全員がつまらない人間になってしまうわ」「まさか……私のような非才の身など……」「謙遜も過ぎれば嫌味よ」(いやいや、公爵令嬢でありながら文武両道、魔力量甚大、努力の人で商才まである絶世の美女相手に何をど
――ガッシャーーーンッ!!!茶器が床に叩きつけられ、無残に砕けて散った。この部屋の主が大事にしていたオーダーメイドの高級品だったのだが。もっとも、金の模様が過多でなんとも品がない。「キャッ!?」間近に控えていた侍女が短い悲鳴を上げた。これまた高級そうだが派手な色合いでけばけばしい絨毯の上に飛散する茶器を前に彼女は震えた。「ケヴィンがいったい何をしたって言うのよ!」この部屋の主人であるセギュル夫人がまたいつもの癇癪を起こしたのである。「あの子はただ自分の恋人の窮地を救おうとしただけじゃない!」セギュル夫人はケヴィンの言い分を無条件に信じていた。だから、悪いのはエーリックだと疑いもしていないらしい。「それなのに、どうしてケヴィンだけが罰を受けなきゃいけないの!?」実際には継承権剥奪の危機に陥っているオーウェンが一番重い罰を受けている。だが、彼の罰には執行猶予がついており、今回の件でケヴィンだけが理不尽に虐げられているようにセギュル夫人には思えた。「こんなの王妃の横暴じゃない!」我が子だけが不当に罰を受けている――それがセギュル夫人の歪んだ認識なのであった。イライラしてセギュル夫人は親指の爪を噛む。「オーウェン殿下やエーリック殿下には何のお咎めもなく、ケヴィンだけに処分を下したのは王家にセギュル家を貶める目的があるんじゃないの?」もともとエーリックは自分の婚約者を守っただけで何の咎もないし、オーウェンにしても多少横柄ではあったが罪を犯したわけでは
――ドンッ!オーウェンが怒りに任せて拳を激しく机に叩きつけた。「どうして分かってくれないんだ!」今回の裁定に対し、オーウェンは憤りを隠せない。「父上も母上も貴族主義的で人の心を理解していない!」荒れるオーウェンに気づかわしげな視線を向ける男達がいた。「落ち着いてください殿下」眼鏡を掛けた怜悧な印象を受ける青髪の美形――サイモン・ケセミカ。ケセミカ宮中伯の長男であり幼少期は神童とおだてられ育った英才である。だが、イーリヤやレーキに遅れを取り成績不振に陥った。その為、一時は家の期待に応えられないと悩み苦しんだものだ。そんな彼に人の価値は学業だけではなく、能力は学校の成績だけでは測れないと気づかせてくれたのがアイリスである。「そうだぜ、俺達は最後まで殿下の味方だ」赤髪の精悍な美丈夫であるクライン・キーノンは騎士を目指す裏表の無い真っ直ぐな少年だ。しかし、彼の強い正義感が裏目に出て騎士クラス内で孤立していた。そんな愚直な性格も素敵なのだとアイリスに誉められ立ち直れた。「ケヴィン先輩は心配だけど、まだ猶予はあるんじゃないかな」実年齢よりちょっと幼なく見える白銀の髪と赤い瞳のアルビノの少年コニール・ニルゲ。彼はオーウェンの婚約者イーリヤ・ニルゲの義弟である。彼は能力を買われて分家より養子となった。しかし、背も低く実年齢よりも幼く見える童顔のせいで侮られ、自分の容姿に強いコンプレックスを抱いていたショタ系美少年である。アイリスは容姿で差別す
「何よ、ザマァって?」聞き慣れぬ言葉にきょとんとウェルシェは首を傾げた。「近ごろ巷間で流行っている恋愛小説のテンプレでございます」「恋愛小説ぅ?」「まあ、お嬢様には無縁のものでございますね」「失礼ね。私だって年頃の娘よ!」ウェルシェの主張にカミラが疑いの目を向ける。「ですが、お嬢様は恋愛より謀略とか陰謀とかの方が好きですよね?」「大好きよ!」胸を張って答えるウェルシェに忠実な侍女はため息が漏れでた。外見は妖精姫、中身は謀略好きのおっさん。それがウェルシェである。妖精のような美姫でありながら、恋愛には一切興味のない貴族令嬢――それが残念腹黒令嬢ウェルシェ・グロラッハである。「お嬢様にも、もう少し恋愛にも興味を持って欲しいのですが」「貴族令嬢は政略結婚が基本よ。恋愛なんて必要ないじゃない」恋愛なんて飯の種にもならないわ、と真顔で言う残念なお嬢様にカミラのため息が止まらない。「私、本当にエーリック殿下が憐れでなりません」カミラの見立てではエーリックは本気でウェルシェに恋してる。だと言うのにお相手のウェルシェは言動だけの恋愛に残念な見た目詐欺令嬢なのだ。「いいでしょ、エーリック様も幸せそうなんだし」「まあ、知らない方が幸せって事もありますよね」ウェルシェの本性を知ったエーリックの絶望する顔が想像できてしまう。「それでザマァって何よ?」「今回お嬢様がセギュル様やオーウェン殿下になさったようなことです」王子様役の男を巡ってライバルの令嬢
「それでは、学園でまたお会いできるのを楽しみにしておりますわ」「あ……う、うん……また……」ウェルシェからお色気攻撃を不意打ちで食らい、エーリックがフラフラと地に足がつかない状態で帰っていく。「あらあら、エーリック様、大丈夫かしら?」その背中を見送りながらウェルシェはくすくす笑った。「あれはやり過ぎだったのではありませんか?」ウェルシェがチラリと背後を見やれば、カミラが半眼を向けていた。「ん、何の事?」だが、ウェルシェは頬に右手を添えて可愛い仕草ですっとぼける。「そんな可愛い子ぶっても私には無意味ですよ」「むぅ、カミラも可愛いの好きでしょ?」ウェルシェが口を尖らせた。そんな子供っぽい態度も愛らしく、同性であってもくらりときそうだ。「ええ、小さい頃のお嬢様はお可愛らしく、モノホンの妖精でございましたのに……」カミラはハァっとため息を吐き出して、どこで間違ったのかと嘆いた。「何よ、今だって私はカワイイでしょ。学園じゃ『妖精姫』って呼ばれてるんだから!」背中に美しい羽根が見えるって言われてるんだからと、カミラの前でウェルシェはクルリと回って見せた。拍子にふわりとスカートが舞う。その軽やかな姿はとても幻想的で絵本から美しい妖精が出てきたよう。「最近の妖精にはコウモリの羽と悪魔の尻尾が生えているとは存じ上げませんでした」だが、
「もちろん、エーリック様をお慕いしておりますわ」ウェルシェは自信満々で(のもたらしてくれる富)と副音声に入れた。嘘は言っていない。「ふふふ、今のは嘘くさぁい」「もう!」「ごめん、ごめん」プイッとウェルシェはむくれてそっぽを向く。キャロルが笑いながら謝罪すると、ウェルシェは横を向いたまま横目で彼女をチラッと見るとため息をついた。「キャロル、私
「エーリック様、いらっしゃいませ」「やあ、また来たよ、ウェルシェ」ウェルシェの予想は大当たり。「迷惑じゃなかった?」「そのようなことありませんわ」エーリックは儚げで、庇護欲を掻き立てるようなか弱い女性が好みだった。足繁く通う彼はウェルシェのかまととの完全な虜である。「エーリック様にお会いできて私はとても嬉しいですわ」「えへへへ、そ、そう?」ウェルシェの笑顔にエーリックがデレデレになる。手のひらでコロコロ転がされているとも知らずに。端で見ていたカミラはなんとも完璧な猫かぶりだと感心するやら呆れるやら。もともとウェルシェは幼少期より儚げな深窓の令嬢を演じて、海千山
「名残惜しいですが、そろそろ帰らねばなりません」「まあ、もうそんな時間なんですの?」「楽しい時間はあっという間ですね」エーリックが器用にウィンクすると、ウェルシェがパッと花が咲くように笑った。「また、あなたにお会いできる日を楽しみにしております」「私も楽しみにお待ちしておりますわ」潤んだ瞳でウェルシェから可愛く見上げられ、エーリックはすっかり舞い上がってしまった。(これって、ウェルシェも僕に恋しちゃってるんじゃない?)エーリックはカッコよく颯爽と帰るつもりだった。だが、顔は締まりがなく、足取りも地につかずふわふわして覚束ない。「あらあら、あんなにフラフラして大丈
「お初にお目もじ仕ります」目の前の少女にエーリックは一瞬で心を奪われた。「グロラッハ侯爵の娘、ウェルシェでございます」それは一分の隙もない立礼を披露する美少女だった。まさに貴族のご令嬢といった見事な所作である。ところが、それでいてニッコリ笑うウェルシェは純真無垢そのもの。自然な笑顔は貴族令嬢とは程遠いもののようにエーリックには感じられた。——







